2010年6月30日水曜日

論点をずらすこと・ぼかすこと

暑いですねぇ。
本日の予想最高気温は35度だとか…
体温並みの気温は勘弁してほしい。
テンプレ演説の幸福実現党とか、20m程度の長さの駅ビルの通路に6名のビラまき要員を配置する公明党とか、帰宅時間帯の名駅前で歩道の半分を通行できないようにして演説してる民主党とか…
こっちも気温と同じくうんざりです。
さわやかな気持ちになるべく、おいしいお茶でも淹れましょうか。


今回は議論の話の続きのような感じで進めてみようと思います。

真っ向から衝突する議論。
これってわかりやすいですし、充実感も納得感もあります。
しかし、摩擦を生むのもまた事実。
その為、論点を『多少』ずらしたり、ぼかしたりするという技巧が存在します。
そうすることで真っ向からの衝突にならない分、摩擦が少なくなるわけです。
良い技巧だと思ってしまいそうですが、実はとても大きな問題をはらむ技巧だったりするのです。



右に図を書いてみました。
基準線、とあるのが論点に真っ向から向かうイメージ。
A,Bは論点をイメージしています。説明用に2つ用意しました。
そして、論点をずらした場合として、ズレ1、ズレ2の2通りを用意しています。
適当な人の絵は議論の参加者です。
尚、参加者からの距離は論点の背景と参加者の知識や概念の距離とします。
たとえば、フェルマーの最終定理に関する議論、なんて話の場合はほとんどの人にとってかなり遠くにAとかBが配置されます。

正しい論点のずらし方は、ズレ1の状態にすることです。
参加者が認識しうる範囲でずらす(距離の異なる場合でも論点とズレの線が交わっている)状態ならば、理解しづらくあっても理解できないことはまずありません。

では、ズレ2の場合はどのような状況なのでしょうか?
ズレ2はAとは交わっていますが、Bとは交わりません。
これは、論点の背景を熟知している人は理解できるけど、そうでない人は論点を認識できない状況を意味します。
先ほどのフェルマーの最終定理でいえば、
  3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる 0 でない自然数 (xyz) の組み合わせがない
というのは論点がわかっても、そこから少しでもズレると(たとえば、正則素数非正則素数とか、「すべての楕円曲線モジュラーである」とか… フェルマーの最終定理の証明に使われた定理・概念です)全く理解の範囲外になってしまうわけです。
ちなみに、上記で挙げたズレの例は数学的にはそこまで大きくありません。(谷山・志村予想はずいぶん遠いのですが^^;


論点をずらすのは危ないことなのです。




では、論点をぼかすのはどうでしょうか?
こちらは説明を省略する、若しくは抽象化するという方法をとります。
「黒こげになった、かつては食材であったもの」
「真黒な炭化物の塊」
「炭」
いずれも漫画などで出てくる失敗料理の描写ですが、「焦がして失敗した料理」と書く場合に比べて、伝わり方が変化します。
上から順に、情報を欠落させてみたのですが…
いずれの例にしても作り手が泣きそうな表現ですね^^;


文学作品や文章などで多用するのは良いのですが、議論を行う際に多用すると論点がわからなくなりそうですね。
実際にぼかしたことで議論が迷走、なんてことも起こりえます。
大抵無駄な時間を使うことになるわけで…


論点はずらすにせよぼかすにせよ、その危険性を認識したうえで慎重に、というのが必要ですね。







正則素数、というのは、【まさのり そすう】ではありませんw
【せいそく そすう】と読みます。
正則って何さ? というのは数学でも結構大変な話なので、気になった人は調べてみてください。
筆者は大学時代、あまり理解できませんでした^^;


尚、1は素数ではありません。




さて、3か月(中断がありましたが)ブログを書いてみたわけですが…
やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ
という山本五十六海軍大将の言葉で言えば、そろそろ他の人に参加を促してもいいかなぁ? 
という時期ですね。

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