読書家というわけではありませんが、本を読むのが好きです。
どれくらい好きかというと、図書カード(10000円分)が2か月で残高0になる程度。
何故図書カードかというと、金券ショップで買えば多少安いから。
具体的には年間で新書3~4冊分くらいお得です。
そんな筆者の本を選ぶ基準は
1、その時興味を持っている分野の本
2、実体験からその世界(業界・社会)について考えることのできる本
3、読みやすく翻訳された古典や洋書
4、特定アジアをとりあげた本(親日/反日のいずれであれ、偏向し過ぎなものは却下)
の4つのいずれかに合うもの、というのが基本です。
1、 はわかりやすく、特定分野について知りたいとき、この基準で選んだ本が常に手元にある状態になります。新技術を仕事で使うときなど、その技術の固有名詞がついた本が数冊並ぶ状況がみられます。(数冊=諭吉さん、その他何人かさようなら な価格です)
2、 は普段読む本ですね。筆者的に普通の「読書」です。
3、 は視野を広げたい時や『温故知新』などとかっこつけたいとき。その本を読むというよりも、読むことを通していろいろ考えたり知ったりするきっかけなので「読諸」と造語してみます。副産物として、故事成句や偉人の名言に詳しくなれます。
4、 は時々マスコミや日本政府がヒステリックになるネタです。『アジア諸国が』と言いつつ実は『中国・韓国が』と言ったほうが相応しかったり、『歴史を鑑に』と言っている側が歴史を鑑にしていなかったりするので「毒書」してでも知識を仕入れておこうとする場合の基準です。相手の言うことを鵜呑みにすると『三国人とはなんだ、差別だ』などと間抜けな事を真顔で言うことになっちゃいますので、知識は重要です。
話題の本や人気作家といったあたりはスルーする傾向にあるので、読書好きの人と話が合わなかったりします(ピーター・ドラッカーも東野圭吾も読んだことがありません)
そう考えると、自分が楽しく、必要な情報が手に入ればOK なのかな?
おまけ ~『三国人』という言葉の由来~
1、捏造
第二次世界大戦終戦直後、日本に併合されていた朝鮮人たちは自らを「戦勝国民」と称した。
まずこれが彼らの認識のおかしなところ。台湾や東南アジアなどと違って朝鮮半島は日本国内として扱われていたし、そこの住民は日本人として扱われていた(朝鮮人の国会議員や陸軍中将が実在した)わけで、搾取のための支配では考えられない待遇であり、かつ、日本人としての待遇。
よって、朝鮮人も「敗戦国民」でなくてはおかしい。
2、否定
連合国側から「戦勝国民」ではないと否定される。
3、誕生
「敗戦国民」になるのを嫌った朝鮮人たちは「戦勝国」でも「敗戦国」でもない「第三国」の人間であると主張。これにより、朝鮮人たちは「第三国人(三国人)」と称するようになった。
さて、ここに差別的要素があるのか?
まったくありませんね。
朝鮮人が自ら使った単語ですから。
尚、「朝鮮人」と記したのは「韓国人」ではおかしいと思ったため。「朝鮮民族」の朝鮮を使用しています。この表現で怒る人もいるらしいのですが、これで怒られるのではどう表現すればいいのやら… 「大韓帝国人」じゃ長いうえに歴史的におかしいし、「大韓民国」も「朝鮮民主主義人民共和国」も成立していない時期の話なので^^;
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