2010年12月24日金曜日

指導の難しさ

なにやら賢しげなタイトルを付けてみた筆者です。

かつては地域の剣道の指導者の末席に名を連ね、学生時代に塾講師もやっていた関係で指導ということに随分と関心があると思っていますが、そのあたりの経験から職場における指導について軽く触れてみようと思います。


職場での指導は、OJTと呼ばれることが多いです。
On Job Traning の略語だったと記憶していますが、仕事しながらの訓練、というところです。
当然ですが、教わる側が仕事としての成果を出しつつ知識・経験を得て初めてOJT成功となります。
2倍の成果(仕事の成果+教育の成果)を上げねばならないので、普通は仕事自体が軽めになっていることが多いです。
そして、教える側は自身の通常業務+指導という負荷の高い状態になります。

つまり、教わる側は良いけど教える側は辛い、というのが一般的なのです。

教える側は辛い、と言いましたが、この辛さをどのように処していくかがその人の器だと考えています。

まずは駄目な方から。
放置する・思い通りにならないと言って教わる側に当り散らす などは論外。
立場(教える側が上司ないしは先輩です)を振りかざして言うことを聞かせるというのもろくでなしな証です。
このタイプは、自身の能力に自信がなかったり、逆に自信がありすぎたり、体系立てて教えるということを知らなかったりするケースが多いと感じます。
自信がない/自信過剰の場合、予定通りに行かないのはかなりのストレスになることが多いので、当たる先は目の前のストレス源(=教わる側)になります。
体系立てて教えることを知らないから、放置して独学で伸びてきた人間をみて「人は勝手に育つ」と思い込みます。

少しマシになって、すぐに答えを教えるというのがありますが、これは良くもなく悪くもないレベルです。
ある答えを得る過程の練習が重要な為です。

さて、ここまで駄目なケースを出してきましたが、ならどうすればいいのか? とお思いかと思います。
筆者としては、指導は支えであると考えています。
OJTは大抵、教わる側の能力の1~2段階くらい上のことをやります。
(無論、作業量自体は少なめになりますが)
例えるならば、段差の大きい階段を上るようなものです。
段差が小さいとOJTの意味がありませんが、あまりにも段差が大きいと上ることが出来なくなります。
教わる側にとって大きすぎる段差がある場合に、その大きさを小さくする方法を教える/示唆するのが指導です。
教わる側が、段差を小さくする方法の考え方自体を知らない場合はまず考え方を教えます。
これは直接考え方自体と実例で教えてしまいます。
教える側の考えの押し付け、と思う方も居るかもしれませんが、まずは枠を用意しないことには始まりません。
考え方を知った後は、方法を示唆することに切り替えます。
若しくは、回答させた際に「別のやり方として・・・」と言って説明するのも良いです。
教わる側は考えた末に答えを出しているわけですから、考えた事自体を否定するような言動はNGだと思います。

これを実践すると、教える側は大変な忍耐を強いられるのですが・・・
耐えることが出来ない場合、指導自体が無意味若しくは逆効果になってしまいます。
随分と悠長なことをする、と思われるかもしれませんが、一朝一夕に今の技能を身につけた人はいないでしょうし、手順を一度聞いただけでその手順になった経緯と理由の全てがわかる人もいません。
教育とは悠長なものなのです。

競争だ、と言って必死に業績を上げようとする。これは企業としてある意味正しい姿勢です。
しかし、競争の追及をしていくと教育が疎かになり、長期的には企業の力がなくなってしまいます。
格差社会、競争社会といわれて久しいですが、少し立ち止まって物事を見る癖を付けておかないと、ついてくる者は誰もいないという状況になってしまいます。

・・・ と、言ってみても、どの組織でも競争に血道をあげる人は居るんですよね。
それも、周りにも強要する姿勢で臨むという・・・


ちょっと凹み気味な為に、凹んだオチです。

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